医療と教育の資本主義病〜「安心」は過剰に求められる〜

教室長のつぶやきシリーズ

私がいる環境は「医療」と「教育」がメインとなっているが、強い違和感を覚えることが最近多い。

「しっかり指定された回数だけ通塾しているのに、成績が上がらない中高生」
「たいして重度でもないのに、処方された薬や湿布を持って帰る患者」

こういう光景はなにも珍しいものではない。

彼ら彼女らは、決して嫌々とサービスを受けているわけではない。
むしろ、お金を満足して払っているケースがほとんどだ。

成績が上がらなくても「みんなが通っている地元の塾、大手の塾に所属している」という安心感にお金を払っている。
過剰とも思える薬や治療をされても、「何かあったときに安心だ」という感情にお金を払っている。

一方で、サービスを提供する側の塾や病院にも言い分がある。
「しっかりとした事業として成立している」
「消費者は満足してお金を出しているのだから、利益追求に何の問題もない」
「そもそも利益が出ずに倒産してしまっては、消費者も従業員も救えない」

実に資本主義的で、合理的な響きである。

では、医療や教育は単なる「需要と供給のビジネス」に成り下がってよいのだろうか?


結論を先に書く。私の結論は、
「医療と教育で過剰な利益追求はダメ、絶対。〝本来の価値〟を提供をしろ」
である。

世の中では、2種類の人間が目立つ立場にいある。
「医療や教育はインフラなのだから、金儲けは一切悪だ」という綺麗事が好きな人間。
「利益追求という競争がなければ、成長しない」という資本主義的視点の持ち主。

どちらも浅い。

今日は、医療と教育という我々の人生の根幹に関わる領域が「単なるサービス業」になったときに何が起きるのかを分解して考えていく。この構造を理解しない限り、「安心」という名の麻薬を売りつけられ盲目的に使用する消費者になるか、麻薬を売って小銭を稼ぐ社会にとっての悪徳業者になるかのどちらかであろう。

それでは、今日の内容をみていこう


教育は「居場所ビジネス」ではない。

まず、教育について考えてみよう。
私の地元や通っていた高校の周りにもいわゆる〝みんな〟が通う塾があるのだが、教育者側に立つようになり、いろんな塾関係者と関わりを持つ中で、分かったことがある。

塾の本質は「学力を上げること」であり、「自分で考える力をつけること」だ。

しかし、それを真面目にやろうとすると、時には生徒には耳の痛いことをいい、難易度の高い課題に向き合わせ、自分の頭でウンウンと悩ませなければならない。
これは生徒にとっても、まわりに回って親にとっても「ストレス」である。

だから、利益を過剰に追求し、その最大化をはかることにしか目がない塾は、このストレスをなくそうとする。

「塾に来ていることが偉いね」と褒め、分かりやすい解説だけを与え「分かった気にさせる」。
成績が上がらなくても「上がっている人がいる」という少数の事実を伝え、所属することの大切さを説き、上がらないなら上がらないで仕方ない、とする。

教育ではなく、「居場所ビジネス」であり、もっと言えば「親や子の不安解消ビジネス」である。

教育を単なるサービス業だと勘違いすると、顧客(生徒と親)の「ご機嫌取り」が最優先になる。結果として、本人のもっている力での最大化された学力や自分で考える力の習得といった最強の「資本」を獲得する機会を、子ども達から永遠に奪っているのだ。


医療における過剰診療の罠

医療の現場もまったく同じである。
近年で分かりやすくなっているのは「高齢者への医療」と「美容医療」の2つであろう。

高齢者は体のいたる所が不調となっており、「若い頃と違って〇〇できない」というのが口癖だ。これは生物として至極当たり前なことであり、身体についての不満が永遠と溜まっていく。

また、近年はSNSの発展も相まってか「美しさ」の基準がインフレしており、それ欲する傾向も強まっている。加えて、美容医療の広告やインフルエンサーを見れば、美しさの欠乏が人生に与える影響について語ってくるものがなんとも多いことか。

医療が必要な根本的な理由ではあるのだが、両者に共通していることは身体への不安不満だ。
それを保険診療、自由診療を問わず、医療の現場では「解消する手」を差し出している。

高齢者は医療費の負担額が極端に低く、かつ通院する時間やタイミングを心配する必要がない。また、美を求める自由診療については、制限が少なく、「お金」さえ出せば、ほぼ詐欺とも思えるようなプランの医療行為を受けることが可能だ。医師としても、保険診療より効率よく儲かるから、網羅的に医学を習得するのではなく、初期の頃から美容医療で医師として働く選択をする人も少なくない。

身体への不安不満とは恐ろしいものである。加えて、患者は医療の専門知識がないから常に不安である。

だから、医師が、
「念のため、この検査もしておきましょう。」「念のため、薬を多めに出しておきますね。」
「この治療法や薬なら、見違えるほど変化しますよ」
と言えば、患者は「しっかり診てくれた」「いい先生だ」と満足する。病院は、通院患者が増え、検査や治療行為、薬が出れば儲かる。

しかし、不要な医療行為は、患者への身体への負担増大や倫理的問題、限られた医療資源や社会保障日の無駄遣いなど様々な問題を抱えている。

「安心」を売る病院は儲かり、「あなたには必要ない」「これで十分だ」と医学的に正しいこという病院は儲からない。これが、医療を過剰な利益追求の場としたときの末路である。


その時点で満足ならWin-Winなのか

「いや、でも消費者が納得して満足しているならWin-Winであり、外野がとやかく言うことではないのでは?」

こういう反論が必ず飛んでくる。
確かに、ミクロな視点ではWin-Winに見える。
しかり、マクロな視点では完全にLose-Loseであることが分かるだろう。

学力が上がらない教育にお金と時間を費やした若者は、将来の可能性という選択肢や稼ぐ力を失い、社会レベルでの生産性が落ちる。
過剰な医療に社会保障を垂れ流せば、財政の異常事態につながりかねない。美容医療(自由診療)の発展も、保険診療で働く医師の不足を引き起こし、供給バランスの破綻を招くであろう。

教育と医療は、日本という社会で重要なインフラである。
人間の頭脳(人的資本)を育て、人間の身体(健康資本)を守る。

この2つの領域だけは単なる安心などの「欲望を満たす利益追求事業」にしてはいけないのである。


プロフェッショナルとしての誇りを持って、

だからこそ、提供者側の強い倫理観とプロとしての誇り・使命感を持たなければならない。

単純に利益が増える依頼「安心が欲しい」「もっと多くの医療を受けたい」「所属したい」があったとしても、自分の倫理観や使命感をベースとした考えで

「あなたには必要ない」 「ここから先は自分で考えなさい」

と突き放す勇気・伝える勇気が必要なのである。
それが、本人にとっても社会にとっても長期的な視点で利益となるなら、一定の泥を被る覚悟を持つべきなのが教育者・医療者ではないだろうか。

教育や医療に限らず、あなたは消費者にもサービスの提供者にもなりうるだろう。

資本主義において正しそうに見える「利益追求」が、長期的にどのような影響を与えるのかという視点を持って、今後の人生をぜひ送ってみてほしい。

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この記事を書いた人

地藤湧騎のアバター 地藤湧騎 教室長

香川県生まれ香川県育ち。三豊市立高瀬中学校/県立丸亀高校 卒
香川大学医学部医学科に通いながら、地元三豊市にある地藤塾の高松校を開校する。
大学では、医学部の学生広報部として記事作成業務に携わりながら、カンボジアを対象とした支援団体の運営にも取り組んでいる。
好物:寿司 趣味:旅行

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